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2005年10月15日

誕生日

あれ? また ?

今日10月15日は、亡き父親の誕生日

存命であれば、95歳・・・・・・・・・


あー お父さんね




明治43年生まれ

山口県の萩市 出身


そう、 内田家は昔 武士だったんだぞ と


よく自慢していた・・・・




昔 日本は 「士農工商」 って言ってなー  なんて

ふーん  だから それがどうしたの!って 

今の日本は 皆 平等なんだよ って 

半分聞いて、 半分無視していた



10歳で病死した長男が いかに勉強が出来て


いわゆる 良い子だったか をよく聞かされた・・・・




悪かったな  生まれ変わりが 出来が良くなくて!


ダンディーだった・・・

身長 173cm

当時 輸入品でも珍しい バーバリーのレインコートと

イタリアの マレリー の靴が良く似合っていた・・・



真面目な人だった・・・

夕方 6時ぴったりに帰宅する・・・


これが 毎日 6時・・・

だから いつも同じ時刻に会社を出て、

同じ時間の電車に乗って


同じ車両の 同じ場所に乗って


それで 同じ道を 


たぶん 同じ歩数で

帰ってきたのだと思う・・・


そうでもしなければ 不可能なくらい 正確だった・・・・



晩酌が楽しみだった・・・

いつも、2級酒の日本酒を 2合と決め

倹約をモットーに ゆっくり夕食を楽しんでいた


私がサントリーに入ってからは、もっぱら


ウイスキー ・・・・


これも、角瓶 や レッドのジャンボボトルを横において


購入した日付をラベルに書いて、大事に飲んでいた

私がたまに社内販売で、お酒を買ってくると とても喜んだ・・・

あっと言う間に 飲んでしまう・・・・


あれ? オヤジ もう全部飲んだのか!



長男だから 威張っていた・・

妹が4人もいたから 余計威張っていた



でも とても親孝行だった

小さい時に、父親が夏の賞与を持って帰宅した時


生まれて初めて 1万円札の 束を見た・・・


ウオー   すげー ・・・・・



現金書留の封筒が膨れ上がるほど 1万円札を


詰めている・・


賞与の手取りの 半分くらいだった のを覚えている



お父さん そんなに 何処へ送るの?

萩の おばあさんにだよ

えっ  おばあちゃんに 半分あげちゃうの?

小学校に上がったばかりの私は 驚いた


おー    もったいねー



母は 翌日それに手紙を添えて 郵便局へ・・



お父さん 何でそんなに おばあちゃんに


お小遣い あげんの?


食事の時に聞いてみた・・・


「いいんだ お父さんを大学まで出してくれたんだから。


このくらいするのが 当たり前なんだ・・・・」

へー  当たり前なんだー  ・・・・  


母が亡くなった翌年 私が駐在するロンドンに

長期滞在に来た

4月のイースターの頃から 5ヶ月間も滞在した・・・



あこがれの 大英帝国・・・


自宅の両隣に住む インド人の家族と、 イタリア人の家族と


仲良くなって 毎日会話を楽しんでいた・・・


英語がうまかった・・・

本場 英国のパブで 自分でビールを買って飲んで

街の酒屋さんで ジョニ黒を3本も買って


安い ! と 歓喜していた・・・・



滞在中、ドイツに一緒に旅行をした・・・


フランクフルト、ハイデルベルグ、ローデンベルグ、

そしてライン川下り・・・

景色もさることながら、ドイツワイン と カツレツに


舌鼓を打っていた・・・・



とても楽しそうであった・・・・


あんなに、喜んでいる父を見た事がなかった

晩年、玄関で転び 足を骨折・・・

それが理由で 95年の8月に85歳で亡くなった・・・・




最後まで病院から 「家に帰りたい」 と言っていたが


叶えてやれなかった・・・




当時ハワイに勤務していた私は帰国して

病院まで父を見舞った

だいぶボケている と言う兄からの話を聞いていたが


全然 ボケていなかった


ロンドンの事や、富士山にドライブに行って帰りに


私が夏のボーナスで 小田原で うなぎ を


ご馳走した時の事なんか全部 覚えていた・・・・




もう 楽しい事だけ覚えて いやな事は忘れるよう  


ボケを 「装っていた」 のだと 確信している・・・



家内の手料理が大好きだった・・・


ロンドンでも 5ヶ月間 毎日食事を楽しみ


庭に出て 夜9時過ぎまで明るい 夏の白夜の下 


娘を だっこしながら


ワインやスコッチを楽しんでいた・・・・



真面目に 45年間働いた父にとって

ロンドン長期滞在は、人生最良の日々だったようだ




5ヶ月の滞在が終わり、父が日本へ帰国する日の朝


いつもは 出発1時間前には 支度を済ませる人が


なかなか 支度をしようとしない。


「 オヤジ  そろそろ行くぞ  早くしろよ! 」

それでも 私の言葉を聞こえない振りをして


黙って ぎりぎりまでテレビを観ていた。


きっと 帰りたくなかったのだと思う・・・




 


サントリーに入社し、ロンドン勤務をしたおかげで


そして、家内のおかげで

最高の親孝行をさせていただく事が出来た。


今でも 何かあると 心の中で会話をしている・・・



こんな時 オヤジなら どう思う? ・・・・ と

投稿者 : 2005年10月15日 04:18

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